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初恋の相手(前編)
「凪くん、流石にどうかと思うよ!私にあんな情熱的なキスした次の日には他の女の子とホテルインしてるなんてさぁ!」 「いや、幽魅も見てたでしょ?私はシリアちゃんと話をしに行っただけなんだって」 シリアちゃんと別れた朝、自宅に帰った私を幽魅が膨れっ面で咎めています。 「そもそも幽魅が『シリアちゃんが爆弾でやられた』って言うから、私はシリアちゃんをお触りする羽目になってその負い目で断れなくなったんだし」 「凪くん、それは論点がずれてるよ!第一、幽霊の女の子だったらお触りしていいなんて思ってるのもおかしい!」 ぐうの音も出ないほど正論です。まいったな、どうやってなだめよう。 「凪くんさぁ・・・ちょっと女の子に対する距離感が近すぎない?もしかして、キスも私が初めての相手じゃないんじゃ」 「あー・・・うん、まあ。キスの経験はあります。うん」 「ほらやっぱり!その話詳しく聞かせてもらおうかなぁ?ん?」 正直に答えたのですけど、まずかったかな。これなら幽魅が初めての相手だって言った方が良かったかも。そんな風に思っていると、玄葉がリビングに降りてきました。 「何を揉めてるのよ」 「玄葉ちゃん。今ね、凪くんのファーストキスの思い出を聞き出そうとしてたとこ」 玄葉はそれを聞くと、そそそとすり寄って来て私の隣に腰を下ろします。 「私も聞きたい。お兄の思い出」 「えー」 「ほら凪くん、2対1だよ。観念して話して」 仕方ない、それで話が逸れてくれるならいいか。 「分かった、ちょっとアルバム持ってくるよ」 私は一旦部屋に戻り、昔のアルバムを持ってきました。中には私の少年時代の写真が入っています。ページをめくり、目的の写真群を見つけました。 「私の初めてのキス相手はこの人だよ。『茶楽紬(さがら つむぎ)』さん。これは20歳の時の写真だね」 薄茶色の髪に青い瞳をした、快活そうな笑顔でカメラを構える女性。彼女が映った写真を幽魅に示すと、幽魅は早速写真に入り込んでいきました。 「幽魅さん、何しに行ったんだろ」 少し待っていると、幽魅が写真からするっと出てきました。その頬は紅潮しており、何かに興奮しているようです。 「幽魅、どうしたの?」 「な、凪くん。この写真撮ったの、超キュートな男の子だったんだけど・・・もしかしてあれ、凪くんの小っちゃい頃?」 超キュートかどうかはともかく、この写真を撮ったのは間違いなく私です。アルバムを一ページめくって、8歳当時の私の写真を見せます。 「これが昔の私ね。この時玄葉はまだ生まれてないけど」 「ああ~!すっごい好みなんだけど!この子お持ち帰りして可愛がりたい!凪くん若返ってくれないかなぁ!」 無茶言わないで欲しい。私は幽霊じゃないんだから。 「あのね、私おねショタが好きなの!凪くんと茶楽さんの甘いエピソード期待してるよぉ!」 「幽魅さんの性癖は放っといて・・・お兄、続き話して。この茶楽さんとどういう経緯でキスしたの。お兄より12歳も年上なんだったら、今45歳でしょこの人」 「・・・なるべく簡単に話すね。私にとって、苦い思い出だから」 私が小さく呟くと、はっとしたように玄葉と幽魅は静まりました。私はゆっくりと、記憶の糸を辿って話し始めました。 「凪!ほら笑え笑え!チーズ!」 「紬お姉ちゃんも笑って!チーズ!」 麦畑で互いに写真を撮り合いながら、私と茶楽さんははしゃいでいました。茶楽さんは一年ほど前に、私の父親に弟子入りしたカメラマンの卵です。高校卒業後、カメラの道に進んだはいいものの中々芽が出ず、自身のスキルアップのために私の父を師匠として選んだのだとか。 「おーい、茶楽君、凪!そろそろ帰ろう」 「はい師匠!」 「はーい」 父さんの運転するバンに乗り込み、自宅へと向かいます。茶楽さんもうちに住み込みで暮らしているため、帰り道は一緒。 「あはは、凪ってばめっちゃ麦の欠片ついてる!帰ったら一緒にお風呂入ろうね」 「紬お姉ちゃん乱暴に背中流すからやだ」 「あんだとー!生意気な小僧め」 「パパも一緒に入るなら紬お姉ちゃんとお風呂入ってもいいよ」 「いや凪、そりゃ駄目だ。師匠とお風呂は洒落にならんって。私が師匠の奥さんにぶっ殺されちゃうじゃん」 「茶楽君、多分だけど僕が先に殺されるんじゃないかなぁ」 そんな風にまるで本当の家族のような会話を繰り広げられる仲。私と茶楽さんはそんな距離感の関係でした。私は茶楽さんの事を姉のように慕い、茶楽さんもまた私を弟のように思ってくれていたと思います。 「茶楽君、君は今日の自分の写真に何点つけられる?」 「うーん、30点くらいですかね。被写体の表情はいい感じで切り取れてると思うけどロケーションが活かせてないかなと」 「おれは100点」 「まぁ、この超絶美少女紬ちゃんがモデルだからね。そりゃ満点だよ」 「・・・フゥー」 「おうこのガキ、その溜息なんだ。私可愛いだろうが。可愛いって言え」 「おっぱいが足りない」 「こいつ!こいつ!こちょこちょ攻撃してやる」 「やめろー!」 「二人とも後部座席で暴れるのやめてくれないか」 今にして思うと、私はこの時には既に茶楽さんの事が好きだったんでしょう。彼女とのこんなやり取りがたまらなく心地よかった記憶があります。 茶楽さんはカメラマンとして『被写体』を重要視する傾向がありました。自然の風景や天体写真よりも、人を撮影する方が得意で『被写体の気持ちが伝わってくる写真』を撮りたいとよく口にしていたのを覚えています。 「凪、私はね。見ただけでその世界に引き込んでしまうような、そんな写真が撮れるようになるのが夢。写真の中の世界で、写ってる人たちが何を考えて、どんな風に生きているのか。もし自分がその場所で生きていたらどうするだろうって考えさせるような、生きている写真が撮りたいんだ」 「パパ、人撮るのが上手いからね。おれは自然を撮る方が好きだな」 「凪も将来はカメラマンになりたい?」 「まだ決めてない。警察官とかもかっこいいし」 「警察官かー。公務員は収入安定してそうだなー。カメラマンはどうしても収入に幅が出るしなぁ。・・・よし、凪が警察官になったらお嫁さんになってあげる」 「え、やだ」 「おい。・・・でもまあ、凪が大人になる前に私が結婚しちゃうかな。ほら、見ての通り私可愛いからね」 「・・・彼氏いない歴何年?」 「うるせーなちくしょー!20年だよ!」 私は茶楽さんならきっと素敵なカメラマンになれると確信していました。彼女は人柄なのか、他人を自然と笑顔にさせるような才能があったので、モデルの自然な表情を引き出すのが上手かったし、複数の人が行き交うような状況の撮影も、場の空気を読んで最適なタイミングでシャッターを切れるセンスも持ち合わせていました。幼い私は、彼女の輝かしい未来を信じて疑っていなかったのです。 あの日が来るまでは。 ※後編に続きます。