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復讐の虎人
路地裏で、一人の少年がうずくまっている。 胸を手をあて、何かを抑えるようなしぐさで荒い息をつく。 その顔は苦悶に満ち、汗がしたたり落ち、髪や粗末な衣服をしっとりと濡らしていた。 突然沸き上がった獣の咆哮に、路地裏を歩いていたゴルドンは振り向いた。 そばに、末の妹でもあるダキニラがいたが、大型の肉食獣らしき咆哮に、狐の獣人である彼女は体が硬直している。 小柄な人影が物陰から飛び出し、こちらに飛びかかってくる。 だが、その体は瞬時に膨れ上がったかのように巨大化し、纏っていた粗末な衣服がはじけ飛ぶ。 「虎人!?」 ゴルドンは、虚を突かれながらも即座に迎え撃つ体制をとった。 少年だった人影は、虎そのものになった顔から牙をむき出し、オークであるゴルドン並みに太くなった腕を振りかざして、鋭い爪で切り裂こうとする。 「くっ!!」 オークは人間より鈍重と思われがちだが、ゴルドンに関してはそうでもない。 人間並み以上の素早さと熟練の戦士の技で爪の攻撃を交わす。 右の爪、左の爪、続いて牙による噛みつき。 いずれの攻撃もしのいだゴルドンは、背負っていた大剣を、これまた人間離れした、オークとは思えない素早さで引き抜いた。 そのまま抜き打ちで切りつける。 「ぬっ?」 切りつけたときの手ごたえに違和感を覚えたゴルドンは、わずかに顔をしかめた。 分厚い虎の毛皮を貫き、骨肉を断つことができる剣戟だったのだが、まるで、砂の入った土嚢を殴りつけたかのような感触だった。 間を置かず、虎男の反撃が襲い掛かる。 牙、右の爪。左の爪が、ゴルドンの腹を襲い、プレートアーマーが擦り削られる耳障りな音が響き渡る。 「ぐっ!!」 鎧だけでは消しきれない確かな衝撃を受け、頑強なゴルドンの肉体をもってしても、くぐもった呻きがその口からあふれた。 「兄貴!!」 硬直が解けたダキニラが慌てて駆け寄ろうとするが。 「来るな!!ダキニラ!!」 大声で妹を制止しながら、再度大剣をふるうゴルドン。 だがまたしても妙な手ごたえが剣を阻む。 「……、ライカンスロープか?」 ゴルドンの学び舎の知識に該当するものがあった。 感染する呪いにも似た病の一つだ。 傷をつけられることで感染し、獣人化しいずれ死に至る。 種族としての獣人とは違い、理性を失い破壊衝動と衝動に促され、強力な戦闘力を誇るようになる。 そして、通常の武器ではほとんど傷を与えられないという厄介な特性がある。 答えを導きだしたのは一瞬のはずだが、その一瞬は確かな隙だったらしい。 虎のライカンスロープはゴルドンの視界から消えた。 「なっ!!なに!!」 普段冷静沈着なゴルドンが、思わず驚愕の叫びをあげる。 瞬きする間もなく、本当に一瞬で虎人はゴルドンの背後に回り込んでいた。 その上、完全な虎の姿に変わっている。 「危ない!!」 ダキニラが攻撃魔法を放った。 フォース(理力)の魔法だ。 ダキニラは、幸運神の声を聴ける神官だったのだ。 神官にとって、唯一といってよい攻撃魔法はそれほど強力ではない。 だが虎人の兄への攻撃を中断させて、自らにその凶悪な牙と鋭い爪を向けさせるには十分だった。 虎人が小癪な狐の獣人にむけて、力を貯めるまでもなく一瞬で襲い掛かろうとした。 「ハアッツ!!」 ゴルドンの、素手での一撃が虎人に叩きこまれた。 「魔力撃……」 魔力光を纏ったゴルドンの拳に、ダキニラがつぶやきを漏らす 自分の心身に宿る魔法を扱う力を、剣や拳に込めて叩きつける技だ。 俗に発勁や外気功ともいわれる。 ダキニラに襲い掛かろうと跳躍する瞬間だった虎人は、横合いからの強烈な打撃で弾き飛ばされて地面に転がった。 同時に虎への変身も解け始める。 虎人は、燃えるような瞳でゴルドンを睨みつけると、次の一瞬でその場から消え去った。 引いたらしい。 「兄貴……、大丈夫?」 ダキニラは、周囲を見渡してからゴルドンに回復魔法をかける。 盗賊なのに幸運神の神聖魔法が使えることは、ダキニラにとって大っぴらにできない秘密だ。 「ああ、ダキニラ。助かった」 「なにあいつ、すごく怖かった。虎の獣人族って聞いたことがないんだけど」 虎の咆哮が心によみがえったのかダキニラは肩を震わせる。 「ライカンスロープかと思ったが、違うやもしれぬ……」 虎人は憎悪に包まれてはいたが理性がまだあり、謎の能力を使ってゴルドンに奇襲をかける知性も残っていた。 「えっ、なっ、何……、神様?」 と、その時、ダキニラは中空を見つめて呟きだす。 『かの者 復讐を司りし 神獣の 僕なり』 幸運神の力に満ちた声が、ダキニラの心に確かに響いていた。