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翼に憧れ、敬礼は空を裂く
春の陽がまばゆい午後、空軍第七航空基地のフェンス際──立入制限区域のギリギリ手前。そこに、一人の少女が佇んでいた。 ふわりと風に揺れる金髪のポニーテール。春らしいライトグレーのカーディガンに、レースの襟が可憐なブラウス、淡いピンクのプリーツスカート。どこにでもいる年頃の少女に見えたその娘は、まるで子供のように目を輝かせて、滑走路の先を見つめていた。 彼女の視線の先にあるのは、今まさにエンジンを始動させようとしている、鋼鉄の鳥──戦闘機。 「……すごい……。かっこいい……」 まるで、初恋の相手を見つめるような純粋なまなざしだった。 その様子を、基地側のエリアから見ていたひとりの壮年の男が、思わず口元を緩めた。迷彩の制服の胸には、金色の階級章。空軍中将、そしてこの基地の司令官──“空の獅子”の異名を持つベテランである。 彼は静かにフェンスの近くへ歩み寄り、声をかけた。 「お嬢さん。飛行機、好きなのかな?」 少女ははっと振り向くと、大きな青い瞳をさらに輝かせてうなずいた。 「はいっ! とっても好きです! 空を力強く駆けて、美しくて、強くて……かっこよくて……最高ですっ!!」 その答えに、中将は目を細めた。少女の言葉には、知識や理屈ではない、本物の憧れがあった。 「そうか……よければ今度、もう少し近くで見させてあげようか」 「えっ、ほんとに!? ……あの、仲間も一緒にいいですかっ?」 「仲間……空美(そらみ)の友達ってことかな?」 「えっ? あ……はい、まあ……そんな感じ、です!」 (空美じゃなかったとしても、まあ問題ないか……) 「いいとも。お嬢ちゃんみたいな、かわいくて純真な子たちなら大歓迎だ」 少女はぱぁっと笑顔を広げて、飛行機に向けてもう一度両手を振った。 その無邪気な姿に、中将は微笑みながら「ほんとに軍人じゃないんだろうな……」と内心で思った。だが── 空軍基地の滑走路に、地を鳴らすような革靴の音が響く。 青空の下、眩い陽光を背に現れたのは、黒い詰襟軍装を纏った一人の少女──ブロント少尉である。その背後には、ぴたりと足並みを揃えた士官候補生二十名。そして、冨士見軍曹。彼らの間に、一糸乱れぬ規律の緊張感が張り詰めていた。 軍帽の庇の下、少尉の蒼い瞳は鋭く、まっすぐに前を射貫いている。先日、春めいたパステルカラーの私服で無邪気に飛行機を見つめていた少女の面影は、そこにはなかった。 前方には空軍基地の司令官以下、数名の参謀クラスが整列していたが、その表情はどこか戸惑いを含んでいた。「この前のお嬢ちゃんが……?」といったような、理解が追いつかない様子。 その空気を切り裂くように──ブロント少尉が、一歩前に出る。 「第十三独立戦技小隊所属、ブロント少尉──以下、士官候補生二十名!」 地を抉るような一声とともに、右手が鋭く跳ね上がる。 「空軍第七航空基地司令の御厚意により、視察のため参上いたしました──敬礼ッ!!」 その敬礼は、まるで天に一閃を走らせる雷光のごとく。腕の角度、肩の角度、指先の形──全てが教範に記された理想の「それ」を超えていた。だが、あまりにも鋭利すぎる敬礼に、目の前の空軍将官たちは思わず背筋を伸ばし、息を飲んだ。 (……殺気!?) 一人、参謀が思わず後ずさる。中将自身も思わず息を飲み── (……まさか、あの子が……!) 確かに、あの純真無垢な瞳と同じ光を、この少女の奥底に感じた。だが今は、それが漆黒の軍服と絶対的なカリスマの中に鋳込まれている。 「……ゆ、ゆうかい、かんげい……いや……歓迎する、少尉殿。ご一行を……」 中将の言葉が途切れる中、背後の候補生たちがぴたりと整列。視察の始まりを告げる風が、滑走路を吹き抜けた。 少女の名は──ブロント少尉。 彼女の敬礼は、空をも裂く。