ブロント少尉の泡作戦 〜その夜、シーザーに憧れて〜

「シャボン……波紋……これだ……！」 夜の士官宿舎、仄暗い部屋で、アニメの光が画面からブロント少尉の真剣な表情を照らしていた。 視線の先には、きらめくシャボン玉を武器に戦う美青年。 その名もシーザー。気品と誇りを持ち、泡にエネルギーを込めて戦う波紋戦士。 「彼は……戦士であり、貴族でもあり、そしてシャボン職人……！」 興奮したブロント少尉の瞳が潤む。 「泡に信念を込めれば、敵すら正気に戻し、時には恐慌させる。……なるほど、気迫こそが武器……！」 そして彼女の脳内に、翌日の軍曹との柔道稽古がよぎる。 毎回柔道では軍曹にいいようにされているので、全力をもって仕返ししてやろうと、常日頃崇高な決意を燃やしているブロント少尉。 「よし。これは実戦に応用可能だな。しかも敵の目を封じる効果がある……！」 「名付けて、《泡戦術・陽動型ブレスケアシャボン波紋疾風脚》……！」 翌日、柔道場 乾いた音が畳に響いた。 「ふんっ！」 「ふぎゃッ!?」 次の瞬間、ブロント少尉の華奢な体が富士見軍曹の見事な内股で宙を舞い、綺麗な弧を描いて落下した。 「一本です。少尉殿」 富士見軍曹は微笑すら浮かべず、柔道着の袖を整えながら告げた。冷静、沈着、圧倒的。 「う、うぬぅ……また、してやられた……！」 畳の上に大の字になり、天井を睨むブロント少尉。だが、その目には敗北の悔しさではなく、妙なひらめきの光が宿っていた。 ブロント少尉に昨日徹夜で見たアニメの画像が思い浮かぶ。 （――そういえば、シーザー殿はシャボンで斬撃を飛ばしていたな……） （……そして、男爵殿も！ ワイングラスを手に、口から波紋ワインを「パウウウウ」していたではないか！） 妄想の中、バンダナ姿のシーザーが華麗にシャボンを飛ばし、隣ではシルクハットを被った男爵がくるりと回ってワインを吹き出していた。無駄にエフェクトが派手である。 「――私は、天才かもしれぬ」 ブロント少尉はがばっと起き上がった。 「軍曹殿！ 私、ちょっとトイレに行ってきます！」 「はい？」 唐突な申し出に眉をひそめる富士見軍曹。しかし少尉はすでに出口へと駆けていた。 　 ――女子更衣室兼トイレ 個室の中、ブロント少尉はぴしっと正座していた。なぜか、白の体操服にハイレグ型の紺ブルマという、昭和末期の女子柔道部スタイルに着替えている。 その前に置かれたのは柔道着の上下。そして―― 「ぬふふふふ……まさか、私がここまで周到に準備していたとは誰も思うまい」 手には、100円ショップで買ったという緑色の液体石鹸。香りはミント。殺菌力もばっちりである。 「捕まれる場所、すなわち……襟、袖、ズボンの足首……ふふ、これを塗っておけば、軍曹殿も滑って取り逃がすに違いない」 慎重に、襟に。袖口に。柔道ズボンの裾にも。 ついでに―― 「勝負の決め手には、口から『ブレスケア波紋砲（仮名）』だな」 コップに入れた石鹸水を、彼女は真剣な表情で一口含む。 「ぴりぴりするな……波紋が満ちてきた証だな……」 ※ただの刺激性ミント泡です。 　 ――数分後、柔道場 「……お戻りですか、少尉殿」 富士見軍曹は腕を組んでいた。視線はブロント少尉の足元から首筋へと鋭く走る。 「ぶれすけあしてきまひた」 ブロント少尉は、もごもごと口を閉じたまま話す。口元からミントの香りが微妙に漂っている。 （――何か、仕込んだわね） 富士見軍曹は眉をピクリと動かす。 「では、再戦を」 礼をして構えた瞬間、富士見軍曹の手が少尉の襟を掴みにいく――が。 「ぬるっ」 「へへ……作戦成功、であるッ！」 掴んだはずの手が滑る！ 富士見軍曹の表情が一瞬だけ崩れる。畳の上で二人が激しく動く。 そのときだった。 「ばふっ！」 ブロント少尉が一気に息を吐いた――つもりだったが、ミント石鹸水が喉に引っかかり、 「ゴホッ、ゲホッ……ぷはっ!?」 見事にむせ返った。ミントシャボン玉が口から飛び出し、宙に浮いてはじける。 「……っ！」 富士見軍曹の手刀が一閃した。滑る柔道着ごと、少尉の背中を畳へと叩きつけた。 　 ――そして 「掃除当番は、少尉に三週間追加します」 富士見軍曹は涼しい顔で言った。 「くっ……完璧な作戦だったのに……何故っ……！」 柔道着は即回収。洗濯行き。 仕方なく下に着ていた、昭和感あふれる白い体操服と紺ブルマ姿で、雑巾を手に黙々と拭く少尉。 「……波紋……足りなかったか……」 しゅんとしながら反省する姿は珍しいが―― （どうせまたやるんだろうな） 軍曹はそう思いながら、泡まみれの畳を見つめていた。 バケツを手に畳を拭くブロント少尉。その鼻にはまだ、ほのかにミントの香りが残っていた。