1 / 14
不確定回廊に煙る祝祭都市:アルフィーネの蒸照譜
アルフィーネ・アニマトリア。それが、この廃都に独り住むエルフの名だ。長く尖った耳に半分だけ埋まる黒い金属のパーツが、かつての人間だった証拠を微かに残している。だが今は、その心臓に規則正しい機械振動を宿し、かちりかちりと鼓動を刻む。アルフィーネは巨大なメタルモンスター――見た目は四本足の無骨な獣、口からは煙と炎を吐く――にまたがっていることが多い。銃弾を追い抜き、噂では千の太陽よりも眩しい閃光を放つらしいが、本人は「そこまで派手にやるつもりなかったんだけどなぁ」と気楽に言ってのける。 人間が滅び去った後の巨大都市は、驚くほど錆びついていない。ぴかぴかに磨かれたガラスの壁面が、高く積み重なったビル群を幻影のように映し出し、まるで永遠に凍結された祝祭のようだ。見上げれば、空を射抜く塔のシルエットがきらきらと光波を放ち、細胞のようにうねる電子の霧が都市全体を包み込む。そして市街の外れには、その名も「デジタルの森」が広がっていた。そこでは無数のアンドロイドたちが、まるで命を失った歯車のようにさまよい、手探りでわずかに残る悲しみを拾い集めている。「記憶」という形なき宝を探すかのように。 ある夜、いつものようにアルフィーネはメタルモンスターの背に乗り、上空の高速道路をぶらぶらと散歩していた。道の裂け目から覗く星明かりが、虚ろになったビル群のガラス面に戯れかかっている。その時、下の通りに妙に小柄な人影が見えたのだ。都市を訪れる者など滅多にいない。興味をそそられた彼女は、モンスターの鼻先をひゅっと降下させ、丸いターレットのような足で地面に着陸した。 「おーい、そこのひとー、あんた生きてるぅ? っていうか、どっから来たの?」 そう声をかけられ、びくりと振り返ったのは、ヒゲを束ねたドワーフだった。背は低いが妙に肩幅が広く、背負っているバックパックはまるで小山のよう。都市に似つかわしくない民族衣装を着こなし、薄暗がりの中でも瞳をぎらりと光らせている。 「こっちは元気いっぱいなんだが、まあ……道に迷ってな。名前はグリダスってんだ。あんたは、なんて呼べばいい?」 アルフィーネは自慢げに胸を張る。 「アルフィーネ・アニマトリア! ま、見ての通り、ちょっぴり機械も混じってるエルフさ。あんた、ドワーフなら田舎臭い鍛冶屋の隅で呑気に酒でも飲んでるイメージなんだけど……どうやってここまで来たの?」 「こっちだって一応は冒険者だからな。そう簡単に鉄路だの水路だの諦めると思うなよ」 「ふーん。ま、いいや。暇だから案内してあげる。そうだなぁ……デジタルの森ってとこは自慢の観光スポットよ?」 アルフィーネが愉快そうにメタルモンスターを走らせれば、グリダスは慌ててその後を追った。途中、転がる鉄骨や廃品を見ては「あれはどんな仕組みだ?」「こんな素材、我が里に持ち帰ったらどうなるかな」と驚嘆している。見た目はいかついが、どうやら一つひとつに興味津々らしい。そんなドワーフの姿を見てアルフィーネはくすっと笑い、勢いのままに森へ導いていく。 デジタルの森は昼夜関係なく薄暗く、青と緑が交じり合うネオンの光点がゆらめいていた。地面から伸びる無機質の配線がまるで蔦のようにからみ合い、木々ならぬ鉄パイプが森の幹を成している。内部ではアンドロイドの一群が、歌もないはずなのに奇妙な合奏を奏でていた。グリダスはその異様な光景を見て思わず後ずさりをする。 「おい、アルフィーネ、やばい連中に見つかったらどうする? 逃げるか?」 彼女は鼻で笑う。 「ま、アンドロイドは魂を失ってるだけで、敵意もないわよ。実際、挨拶すれば返してくれるし。ほら、『眠れぬ悲しみを知ってるかい』とか言うと、ときどき首をかしげてくれるんだから」 そこへ、何体かのアンドロイドが寄ってきた。目の奥に微妙な光が揺れている。威嚇するでもなく、小さく首を傾げるだけだ。グリダスは思わず弱々しい笑みを浮かべる。 「なんだ、意外と平和だな……」 するとアルフィーネが唐突に言った。 「『平和は電圧だよ。恋と一緒だな』……ね、意味わかる?」 「全然わからん!」 「ふふ、私も言ってみただけー」 突拍子もない彼女の言動にグリダスが困惑する中、遠くから金属の悲鳴のような轟音が響いてきた。一瞬にして光の粒が乱れ散り、アンドロイド達がにわかにざわつき始める。 「なんだ……? またシステム障害か?」 アルフィーネは表情こそ暢気だが、その声にはわずかな緊張が宿っていた。都市の端に位置する制御炉が暴走することが、ときどきある。もし炉の暴走が連鎖すれば、都市の一部が一瞬で吹き飛ぶかもしれない。彼女はメタルモンスターを軽く叩き、吹き出す蒸気の匂いを嗅いでから、グリダスに声をかける。 「行ってみようか。昔話に出てくる火事場見物みたいで面白いかもよ?」 「おいおい……物好きにもほどがあるだろうが……だが見逃すのも損か」 「冗談、顔だけにしろよ。今のうちに逃げないと、山ごと吹っ飛ぶかもね?」 「えっ!? 本気で言ってんのかよ!」 ふたりが上空にそびえる交通ルートへと駆け上がると、遠くに黒い雲が渦を巻いていた。制御炉付近を見下ろせば、電子の火花が大気を焼き焦がし、赤い炎の筋が鉄塔をなぞっている。アルフィーネはモンスターの背から身を乗り出して、壮観といわんばかりの眼差しを向ける。 「うっわー、あれ、近寄るとけっこう熱いかも? ま、本気で爆発する前に止めればいいんだけど」 「止めるって、どうやって? こっちはドワーフだぞ。エルフでも機械に精通している奴ばかりじゃないし……」 「私、半分は機械みたいなもんだから、わかるよ。きっとパネルの奥にある制御スイッチが原因で……ほら、あれ、変なバイブレーションを出してるの。あれを解除すりゃ終わりさ」 アルフィーネは、メタルモンスターを蹴り叩きながら勢いよく下降を始めた。その速度は銃弾を超えており、グリダスは瞬きすら追いつかない。轟音のなか、彼女は己の金属の腕を制御炉の外壁へ叩きつけて無理やり扉をこじ開ける。内部のパネルには複雑なコードが絡みつき、ビリビリと電気の火花を散らしている。しかしアルフィーネは臆することなく飛び込み、手際よく配線を捻じ曲げ、最後にレバーをぐいと引いた。すると周囲を混乱させていた轟音は、嘘のように静まっていく。 守られた都市。その暗緑のデジタルの森には、再び静寂が戻った。アルフィーネは汗一つかかずに戻ってきて、高いところからグリダスに手を振る。 「ほら、終わり! ご苦労さま、冒険者ご一行!」 「ていうか、一行って俺だけだろ……ま、すごいな、あんた。さすがエルフにしてハーフマシン?」 「ありがと、言われ慣れてるけどね」 このときの出会いが、ふたりの奇妙な旅の始まりとなるとは、まだ誰も想像すらしていなかった。アルフィーネはいつものわがままで突っ走り、グリダスはつい呆れながらも彼女を追いかける。そしてそんな凸凹コンビの騒がしい生活は、廃都の無機質な空気を少しだけ、生き物らしい温度で満たしていくのだった。 夜はまだ明けきらず、深く静かな空の底から、一筋の光が鋭く都市の塔を射抜きます。まばゆい星座たちは、歪んだ