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素敵なオルゴール
賢者の学院・声楽科の初等部。その音楽練習室では、授業を終えた少女たちが円になり、楽しげな声を響かせていた。 部屋の中央に置かれたのは、学院に最近導入されたばかりの魔法伴奏装置──「シンギング・オルゴール」。魔導細工が施された小型の円柱型装置で、曲名を指定するだけで自動的に最適な伴奏を奏でる。さらに、歌唱に合わせてテンポやキーを微調整し、時にはハーモニーまで重ねてくれるという優れものだ。魔法技術の粋を集めたこの装置のおかげで、初等部の子どもたちでも、まるで熟練の伴奏者がついているかのような気分で歌えるようになったのだ。 「次は、これ歌おう!」 一人の少女がシンギング・オルゴールに手をかざし、曲名を指定すると、柔らかな音の波が部屋に広がった。 最初は授業で習ったばかりの発声練習曲。清らかな声が響くたびに、オルゴールが忠実な伴奏を返す。次第に少女たちは調子を上げ、今流行の歌や少し昔の懐かしい合唱曲へと移っていった。 「この曲、お母さんが昔歌ってたんだよ」 「えー? でも、いい歌だね!」 ノスタルジーを感じさせる旋律に、少女たちは目を輝かせ、シンギング・オルゴールの伴奏に乗せて、楽しそうに歌い続けた。まさに、放課後のカラオケ大会だ。 しかし、その平和なひとときは、突然の声によって破られた。 「ほう……この曲、私が昔作ったものだな。」 不意に扉が開き、そこに立っていたのは、学院の外から気ままに現れた旅の吟遊詩人──アーゼリンだった。 長い銀髪を揺らし、鋭い金の瞳を少女たちに向ける。そして、ずかずかと中へ入り込むと、シンギング・オルゴールをじっと見つめ、にやりと笑った。 「ふむ……なるほど。魔法装置の伴奏も悪くないが、やはり本物の演奏には敵わんだろう。どれ、私が伴奏してやろう。」 アーゼリンは近くに置かれていたピアノの前に腰を下ろし、指を軽く鳴らす。すると、少女たちは一瞬ぽかんとしながらも、尊敬の眼差しを向けた。彼女の名は知れ渡っている。神に等しい存在──伝説の吟遊詩人。 「さあ、遠慮せずに歌え。」 まるで王のような堂々たる態度で、アーゼリンは鍵盤に手を置く。そして、楽譜も見ずに先ほどの曲の旋律を紡ぎ始めた。美しく、流れるような伴奏。しかし、それが問題だった。 圧倒的すぎる。 魔法のように繊細で、なおかつ力強い旋律。少女たちの稚拙な歌声が、その壮麗な演奏に埋もれていく。まるでプロのオーケストラをバックに、素人が震えながら歌わされるような状況。最初の一音を発した瞬間、彼女たちは全身がこわばり、喉が震え、声が出なくなってしまった。 「あれ? どうした、歌わんのか?」 アーゼリンは不思議そうに少女たちを見渡すが、皆、もはや固まってしまっている。 その時だった。 「ちょっと!! 初等部苛めてるんじゃないわよ!!!」 怒号とともに扉が再び開かれ、シルビアが勢いよく乱入してきた。 賢者の学院の准導師にして、アーゼリンの娘。彼女は眉を吊り上げ、まるで雷を落とすような勢いで母親に詰め寄った。 「母上、これは初等部の子たちが楽しく歌うための時間なの! あなたの伴奏じゃ、緊張して歌えなくなっちゃうでしょ!」 「む……? そうなのか?」 「そうよ!!」 少女たちは一斉にコクリと頷いた。 「ほう……なるほどな。」 アーゼリンは腕を組み、何か思案するような顔をした。そして、しばしの沈黙の後── 「ならば、私の技量を少し落として演奏すれば──」 「帰ってください!!!」 「むぅ……」 シルビアの一喝に押され、アーゼリンは少しむくれた顔でピアノから離れた。そして最後に少女たちを見回し、ふっと笑う。 「まあ、良い。シンギング・オルゴールとやらで、存分に楽しめ。」 そう言い残し、アーゼリンは部屋を後にした。 静けさが戻り、少女たちは安堵のため息を漏らした。そして、改めてシンギング・オルゴールを起動する。やがて、軽やかな伴奏とともに、再び彼女たちの歌声が響き始めた。 「もう……母上ったら……」 シルビアは苦笑しながら、少女たちの楽しそうな姿を見守るのだった。