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秘密の図書室
冬の昼下がり、薄曇りの空が窓越しに静かな光を図書室へ落としていた。お昼休みの空き時間を利用して学校内を探索していたが、図書館に足を踏み入れた瞬間、目を見張った。 「これが図書室…?」 広々としたフロア全体が本で埋め尽くされている。分厚い辞書が並ぶ一角もあれば、歴史的な古書が静かに存在感を放つ棚もある。さらに、文学作品や学術書だけではなく、絵本や漫画、雑誌まで。コンピュータが整然と並ぶスペースの隣には、柔らかそうなソファーが点在し、まるで小さなカフェのような空間まで用意されているのだ。 リラックスして読書する生徒たちの姿を見て、この学校の環境がどれだけ整っているかを改めて実感した。新米教師としての経験が浅い彼女にとって、この空間は驚きと発見に満ちていた。 ふと、ソファーに座る生徒が目に入った。長い黒髪がさらりと肩にかかり、どこか近寄りがたい静けさを纏った狭霧華蓮だった。その指先に握られているのは一冊の本。彼女は熱心にページをめくり、目はまっすぐに文字を追っている。 その様子に見入っていると、不意に華蓮が顔を上げ、怜花と目が合った。彼女は気づいたように微笑み、小さな声で話しかけてきた。 「先生も図書室を探索中ですか?」 「ああ、ええ。こんなに立派な図書室があるなんて知らなかったわ。」 怜花の答えに、華蓮はソファーの端を軽く叩いて勧めた。「ここ、座りますか?」 遠慮がちに隣に腰を下ろすと、華蓮が目の前の本棚を指さしながら言った。 「図書室って、多元世界なんですよ。」 「多元世界?」その不思議な言葉に、怜花は首を傾げた。 「どんな本でも、そこに書かれている世界が一つの宇宙のように広がっているんです。しかも、ジャンルが違えばまったく別の宇宙になります。物理学の『多世界解釈』みたいなものかもしれませんね。」 怜花は彼女の発想力に感心した。「そう考えると、たしかにそうかもしれないわね。本を読むって、別の宇宙を旅するようなものだもの。」 「ですよね。」華蓮は満足げに頷いた。 だが、その理知的な言葉を聞いた怜花は、ふと彼女がどんな本を読んでいるのか気になり、ちらりと華蓮の手元を覗き込んだ。そして目に飛び込んできたタイトルに、思わず目を見開く。 それは、怜花が小学生の頃に読んだことのある、いわゆる「少女漫画中の少女漫画」とでも言うべき作品だった。王道の恋愛ストーリーに、ベタなセリフや展開。真っ赤な表紙には、ヒロインが長髪をなびかせ、背景にはキラキラした星の装飾が描かれている。 「華蓮さん…」怜花は驚きを隠せずに尋ねた。「その本を読んでるの?」 「これですか?」華蓮は一瞬無表情になった後、少し照れたように笑った。「先生もご存じですか?」 「ええ、知ってるも何も…私が小学生の頃に読んでたわ、まさかそれを読んでるとは・・・」 怜花は思わず吹き出してしまったが、華蓮は悪びれた様子もなく言った。 「少女漫画も、ひとつの多元世界ですから。」 少女漫画と多元世界の解釈――真逆の要素が混ざり合うその空間は、まさに華蓮そのものだった。怜花は、彼女の中にある柔軟な感性と深い知性の両立を頼もしく思う一方で、その意外性に笑いを誘われる自分を感じていた。 図書室の静寂に、二人のくつろいだ空気が広がる。怜花は、この「多元世界」での偶然の出会いを、少しだけ特別に思えた。