「どろけい」の起源 - 牢獄からの脱出ゲーム
江戸時代中期、盗賊の脱獄が相次いでいた。 この状況に危機感を抱いた、江戸町奉行所の与力・長谷川平蔵は、牢屋の警備を強化するため、独自の訓練法を考案した。それが、後の「どろけい」の原型となったのである。 長谷川平蔵は、配下の同心たちを二手に分け、一方を「囚人役」、もう一方を「牢番役」とした。囚人役は実際の囚人に扮し、脱獄を試みる。一方、牢番役は囚人役の脱獄を阻止すべく、牢屋の警備にあたる。双方が知恵を絞り、それぞれの役割を全うすることで、牢屋の警備の隙を洗い出し、それを補強していったのである。 この訓練は、町奉行所内で評判となり、他の与力たちも長谷川平蔵の訓練法を取り入れるようになった。訓練は回を重ねるごとに洗練され、やがて「どろけい」と呼ばれるようになった。 「どろけい」の名の由来については諸説あるが、有力なのは、「泥棒(どろぼう)」と「刑(けい)」を組み合わせた説である。泥棒を捕らえ、刑に処する、という牢屋の本来の役割を表した名称といえる。 長谷川平蔵が考案した「どろけい」は、江戸の治安維持に大きく貢献した。脱獄事件は激減し、牢屋は以前にも増して堅固なものとなったのである。その一方で、「どろけい」は与力や同心たちの間で、腕試しの場としても人気を博した。 歌川国芳の浮世絵「与力・同心の どろけい試合」は、当時の「どろけい」の様子を伝える貴重な資料である。 国芳の筆は、真剣な表情で「どろけい」に臨む与力・同心たちの姿を、臨場感たっぷりに描き出している。 「どろけい」は、江戸の治安を支えた裏の立役者であった。長谷川平蔵の創意工夫が生んだこの訓練法は、今日の警察官の訓練にも通じるものがある。 「どろけい」は、江戸の治安維持の歴史に、確かな足跡を残したのである。 民明書房刊『江戸の遊戯:盗賊と御用の奇想天外なる舞台』より。