ドヤ族のモアイー威風堂々たる起源
18世紀末、イースター島の隅々を探検していたオランダの歴史家ピーテル・ヴァン・デル・ブルックが、偶然にも今日「ドヤのモアイ」として知られる像を発見した。 彼の探検の目的は、太平洋の孤島に残された古代文明の謎を解き明かすことであり、このモアイ像の発見はその探求の一環であった。 ヴァン・デル・ブルックは、この島がかつて「ドヤ族」と呼ばれる独自の社会構造を持つ民族の根拠地であったことを示唆する証拠を求めていた。 歴史学的な深堀によれば、ドヤ族は他のポリネシア文化と異なり、自己表現と社会的地位の象徴として、「マナオアリキ」という顔を用いた。 「マナ」はポリネシア文化において精神的な威厳を意味し、「オアリキ」は首長や高い地位にある人を指す言葉です。したがって、「マナオアリキ」は威厳や自信を外見に表したものとなる。 この言葉はポリネシア以外の地域では発音しにくかったため、西洋圏では「ドヤフェイス」と呼ばれ、日本に到来するころには「ドヤ顔」と呼ばれるものになった。 この石像は、当時の人々の間での社会的地位の象徴として、また彼らの技術と芸術的センスの証として重要な役割を果たしていた。ドヤ族の社会では、このような表情を持つ者がリーダーシップを担い、部族内の重要な決定を行っていたことが推察される。 彼らの文化と権力構造の研究は、ポリネシア地域の歴史を理解する上で欠かせないものとなっている。 ピーテル・ヴァン・デル・ブルックの発見は、ポリネシア文化史における重要な転換点となり、ドヤ顔のモアイを通じて、ドヤ族の存在が歴史の表舞台に登場するきっかけとなった。 この発見により、イースター島だけでなく、ポリネシア全域の歴史解釈に新たな光が当てられたのである。 民明書房刊『顔の歴史学 - ドヤ族とモアイ像の謎』より。