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夜闇の境界線に揺蕩う微睡みの死神論
今日の俺は絶不調。熱があるらしく頭がぐわんぐわん回っている。だけど仕事は待ってくれない。残業に次ぐ残業、そしてようやく終わったのは日付が変わる直前。他の同僚には「お先です」と言い残し、ふらふらと会社を出た。 「残業は苦行だよ。恋と一緒だな」 ふと思わず呟いて、その意味を自分でもよく分からず首をかしげる。いや、熱のせいかもしれない。会社が用意している寮へ帰るには電車に乗らなければ。タクシーを使うほどの余裕は、財布にも心にもない。仕方ない。とりあえず駅まで歩こう。足を引きずるようにして、深夜の歩道を進む。闇がしんしんと降りてきて、視界が一層ぼやけていく。 駅に辿り着く頃には、俺の意識は半ば夢の中。改札を抜け、エスカレーターを下り、ホームへと向かう。人気の少ないホームはまるで巨大な廃墟のように静まり返っていた。ホームのベンチに腰かけてしばし呼吸を整える。時計を見ても何時かよく分からない。余りにもぼんやりとしていて、まるで生きている実感がない。 すると、ふと向こうから何かがおかしな存在感を放ちながら近づいてきた。なんだあれは? 黒いフードのようなものを被り、大きな刃物――そう、あれは鎌だ。ざっくりと何かを刈り取ろうとするような、まさに死神の象徴。それを担いで、すうっと闇の中を進んでくる。 「嘘だろ……カマ持ち死神とか、ホラー映画かよ。まさか俺、死ぬのか?」 動悸が激しくなる。頭がクラクラしているせいで、恐怖と現実味がごちゃまぜになっていた。ホームの薄暗い照明の中、死神がどんどん近づいてくる。俺は乾いた唇を震わせながら、なけなしの思い出が脳裏を乱れ飛ぶ。小学校の頃におやつを盗み食いしたこととか、初めて買ったゲームが全然面白くなかったこととか……って、なにこの情けない走馬灯。 死神はやけに背が高く、片手で鎌を支えながら、こちらをじっと見ている(気がした)。心臓が痛いくらいにバクバク鳴って、息も上手くできない。あと数歩で、そいつは俺の真横。このまま刈り取られて冥府行きなのか? 何か言うべきか? 謝るべきか? それとも全力逃走か? あり得ない光景に頭が混乱して、思わず声も出ない。 ところが、死神は何事もなかったかのように俺の横をそのまま通り過ぎた。まさにスルー。あれ、俺は気づかれなかったのか? それとも死からの猶予を与えられたのか? 恐る恐る振り返ると、そいつが担いでいたのは鎌なんかじゃなくて……アイスホッケーのスティックだった。 「な、なんだよ、紛らわしいにも程があるだろうが……」 黒いローブに見えたのは、単にコートを羽織ったホッケー部の学生らしい。向こうは振り返る様子もなく、そのまま反対方向の階段を登っていった。消えていく男の背中を見送りながら、ほっと安心のため息をつく。 「はぁ……死ぬかと思ったよ、本当に」 胸の奥底に沈む不安を、夜空を翔ける風のざわめきに委ねてみれば、私はそっと瞳を閉じます。遠く連なる街の灯がささやくように瞬き、すべてが透明なヴェールをまとった幻想の舞台のように思えます。星々のまたたきに導かれるように、流れていく時の調べ。その穏やかな闇は、今日という日をいとおしく包み込み、やがて訪れる朝へと私たちを誘うのです。 *** 実話です