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「夕日の染色にて奏でる光合成の詩(うた)」
赤い夕焼けが空を染める中、僕は人里離れた丘の上にいた。そこで見つけたのは、堂々と座り込む裸の女性だった。 「何してるんですか?」 「夕日を浴びて光合成してるんです」 あまりに堂々とした返答に、僕の思考が少し止まった。 「それで裸なんですね」 彼女は急に腕で体を隠す仕草を見せる。 「見ないでください」 いや、隠すくらいなら最初から服を着てほしい。そんなツッコミを飲み込んで、僕は言葉を続けた。 「でも、人間に光合成はできませんよ」 ボカッ!! 彼女の拳が僕の額に直撃した。 「うるせーぶっ飛ばすぞ!」 「冗談、顔だけにしろよ……いや、もう殴ってますよね?」 目を回しながらも、つい口が滑る。彼女は呆れた顔で溜息をついた。 「もう帰れよ」 「いやいや、こんな状況、普通帰れないでしょ! それに、裸が気になりますし」 再び、拳が飛んできた。ボカッ!! 「見るなって言ってるだろ!」 「でも、脚をもう少し開いた方が、光合成の効率も上がりません?」 「……こう?」 彼女がわずかに動く。夕日の反射で、彼女の肌が金色に輝く。 「うひょー!」 ドカッ!! 気が付いたら僕は地面に転がっていた。 「きめーんだよ、ぶっ飛ばすぞ!」 「いや、もう殴られてるんですけど」 「帰れ!」 それでも僕は帰らない。何か理由を探して彼女の隣に座り込む。ふと彼女の横顔を見て、こんな言葉を口にした。 「夕焼けって切ないですよね。恋と一緒だな」 彼女は一瞬、戸惑った顔をしたが、すぐに眉間に皺を寄せた。 「お前、光合成の話に戻れよ」 「それは無理ですよ。だって人間に光合成は──」 ボカッ!! 会話は拳で終わった。 そして、夜が訪れる前の一瞬。 丘の上で僕たちは言葉を失った。夕日の最後の光が空を金と茜色に染め上げる。雲の切れ間から溢れる光芒は、まるで天上から舞い降りる旋律のように大地を撫でていく。 木々の間をすり抜ける風は、穏やかな旋風となり、彼女の髪を揺らした。その瞬間、彼女は何も言わずに立ち上がる。 「もう帰れ」 低く、けれどどこか柔らかい声が響いた。 夕焼けが最後の輝きを放ち、空が夜の青へと変わる中、僕はふと空を見上げた。その広がりには、すべてを包み込む無限の優しさが宿っているように思えた。 日が暮れ、夕闇が丘を包み始めると、彼女はひょいと地面に落ちていた服を拾い上げた。薄手のワンピースだ。 「服着ちゃうの?」僕はつい聞いてしまった。 「当たり前だろ。寒いし、帰り道だってあるし」 彼女が淡々と答えるのを見て、僕は慌てて手を振った。 「いやいや、着ない方が良いですよ! そのままの方が自然派っぽいというか、エコ的な雰囲気が──」 ボカッ!! 「……うるさい。ぶっ飛ばすぞ」 拳を振り下ろした後、彼女は冷めた目で僕を見下ろす。 それでも諦めきれず、僕は言葉を重ねる。 「頼みますよ! せっかくの光合成モードなんだから!」 「いや、もう光合成の話はいいだろ……なんでそんなに必死なんだよ?」 彼女は半ば呆れながら服を胸元に押し付けた。 「お願いだから、あと少しだけそのままでいてください! ほら、夕焼けと裸ってなんか芸術的じゃないですか!」 「芸術? あんた、どの口で言ってんのよ……」 それでも僕は食い下がった。 「頼む! 本当に! あと5分でいいんで!」 彼女は深いため息をつき、腕組みをしながら僕を睨みつける。しばらくの沈黙の後、ついに言葉を吐き捨てた。 「……じゃあ、あと5分な」 「やったー!」 僕の歓喜の声が丘に響いた。 「ただし!」彼女が鋭い声を上げる。「じろじろ見るなよ!」 「はい! もちろん!」 とは言いつつ、視線はどうしても彼女の方に向いてしまう。ちらりと彼女がこちらを睨むと、僕は慌てて空を見上げた。 「……なんであんた、そんなに楽しそうなんだ?」 彼女が呆れ顔で呟く。 「だって、こういう瞬間って特別じゃないですか。恋と一緒だな──終わりが来るから、なおさら美しいんですよ」 5分間の黄金の鑑賞タイムが終了した後、彼女が服を手に取った瞬間、僕はまたしても無謀な一歩を踏み出した。 「ちょっとだけで良いので、触らせてもらえませんか?」 その瞬間、僕の視界が星空に染まった。 ボカッ!! 「なに言ってんだお前!?」 「いやいや、好奇心ですよ、純粋な! 科学的な意味合いも含めて!」 僕は額を押さえながら抗弁する。だが彼女は冷たい目で拳を振りかぶるだけだった。 ボカッ!! 「本気でぶっ飛ばすぞ!」 「いや、もうぶっ飛んでますけど!」 それでも僕は諦めない。これまでの人生でこんな興奮した瞬間はないと言っても過言ではないのだ。 「お願いします! 本当にちょっとだけでいいんです!」 「……マジで帰れよ」 彼女の声には疲れが滲んでいた。 それでも僕が食い下がり続けると、彼女はとうとう額に手を当て、何か考え込むような素振りを見せた。そして深くため息をつき、僕を鋭く睨む。 「……なぁ、そんなに触りたい理由ってなんなの?」 「それはですね、科学的な好奇心と感動の融合というか、要は……触ってみたら新たな発見がある気がするんですよ!」 「お前さ、正直に『ただ触りたい』って言えば?」 「ぐっ……」 彼女の鋭い指摘に一瞬言葉が詰まる。 「……じゃあ、こうしようか」 彼女は突然微笑みを浮かべた。その笑顔が逆に不気味で、僕は一歩引いた。 「お前が本当にその気持ちを証明できるんなら、許してやるよ」 「え、どういう──」 彼女は突然、棒を拾い上げて地面に円を描き、僕をその中に押し込んだ。 「ここから一歩でも出たら殴る。それで、5分間、目をつぶってじっとしてろ。それができたら、触らせてやるよ」 「マジですか!? 本当に!? いやぁ、これは神様ありがとう!」 喜び勇んで僕はその円の中で座り込んだ。そして彼女の指示通りに目を閉じた。 5分後 僕が目を開けると、彼女の姿はどこにもなかった。代わりに小さな紙が落ちている。 「『バカに付き合うの疲れたから帰るわ』」 僕はその紙を手に取り、笑ってしまった。 「恋ってこういうものだよな。追いかけるから楽しいんだ。」 そう呟きながら、僕は夕闇の中、一人笑い続けた。 星空が完全に大地を包み込み、丘の上は静寂に戻った。風がわずかに草を揺らし、夜の冷気が頬を撫でる。その瞬間、まるで遠い宇宙の鼓動が耳元で鳴り響くかのように感じた。 空には満天の星が瞬き、その光は何千年も前に放たれたものだと僕は思いを馳せる。時の流れを超えた光が僕の頭上を覆い尽くし、無限の広がりを感じさせた。 遠くで彼女の声が風に紛れて聞こえる気がしたが、それは単なる空耳だろう。彼女の存在は、まるで夕焼けのように一瞬の輝きを残し、消えていったのだから。 「ま、またどこかで会えるかもな」 そう呟き、僕は足を踏み出した。その背中を夜の闇がそっと包み込む。 「あの人、光合成なんて本当にしてたのかな」 僕の独り言は、夜空に溶け込んで消えた。