森の声、私の中の光
森は私を歓迎しているようだった。足元に広がる湿った土の感触、草葉がこすれる微かな音、木々の枝がそよぐ音――それらがすべて私を包み込んでいるように感じられた。降り注ぐ木漏れ日の中で、光の粒が肌を撫でるたび、胸の奥がじんわりと温まっていく。 けれど、その奥には確かに、何か重いものがあった。目を閉じると、それは黒い影となって心を蝕むように広がり、私の呼吸を鈍らせた。過去に抱えた傷や痛みが、静かにけれどしつこく私の中で囁いている。 「もう進めないんじゃないか」 そんな声が心を占める中、ふと遠くから風が運んでくる声を聞いた。それはまるで、私の名前を呼んでいるかのようだった。 「イリナ……」 その声に導かれるように足を踏み出すと、木々の間から一筋の光が差し込み、その先に白い姿が浮かび上がった。それは私自身だった――けれど、違う。彼女の姿はどこか神々しく、肩まで伸びた淡い青い髪が風に揺れている。白い衣が光を反射し、まるで森全体が彼女を中心に輝いているように見えた。 彼女は目を閉じたまま、穏やかに微笑んでいた。 「あなたは……誰?」 声を出したつもりだったが、喉からはかすれた音しか出なかった。それでも彼女には聞こえたのか、静かに目を開けると、私を見つめた。瞳の奥には深い静けさと、どこか懐かしさが宿っていた。 「私はあなたよ」 彼女はそう言いながら一歩近づいた。足元に触れる草も枝も音ひとつ立てず、彼女の動きはまるで風そのもののようだった。その手には淡い光が宿り、それが柔らかく揺らめいている。 「あなたは長い間、自分の痛みを抱え続けてきた。それを手放す時が来たのよ」 私は彼女の言葉に戸惑い、目をそらした。痛みを抱えることが私の生きる理由でもあった。苦しみを乗り越えた先に意味があると思い込んでいた。でも、それは本当に必要なものだったのだろうか? 彼女は私の手を取り、その柔らかさと温かさが私の全身を貫くように感じられた。その瞬間、胸の奥に隠していた闇が溶け出し、光に変わっていくのがわかった。 「大丈夫、恐れる必要はないわ」 彼女の言葉は森全体に響き渡るように静かで、それでいて力強かった。 突然、視界が変わった。 私は白い空間に立っていた。周囲には何もなく、ただ無限に広がる光だけが存在していた。その光の中で、過去の自分の姿が浮かび上がる。泣き叫ぶ私、誰かを傷つけた私、自分を責め続けた私……。 「これは私……?」 その問いに答えるかのように、再び彼女の声が響く。 「そう。けれど、それが全てではないわ。あなたはその傷の先にもっと大きな光を持っているのよ」 彼女の声と共に、過去の私が次第に淡い光となって消えていく。その代わりに、胸の中に暖かな感覚が広がった。それは安心感とともに、未来への微かな希望を感じさせた。 「あなたの中の光は、いつでもここにある。それを忘れないで」 彼女の姿が再び浮かび上がると、白い空間は森へと戻った。私の手を握る彼女の指はしっかりと温かい。 「ありがとう……」 その言葉を口にした瞬間、彼女は優しい笑みを浮かべながら、光となり森の中に溶け込んでいった。森全体が輝きに包まれ、空気が変わるのを感じた。 重く湿っていた空気は澄み渡り、草葉の香りが鼻をくすぐる。鳥のさえずりや木々のざわめきが音楽のように耳に届き、風が髪を撫でる感触が心地よかった。 私は静かに胸に手を当てた。そこには、まだ彼女が残してくれた光が宿っている。それは小さな灯火だけれど、確かなものだった。 「私は生きている……」 その言葉が心から湧き上がった時、涙が一筋、頬を伝った。森が私を見守っているように感じる。鳥たちの声が新たな一日を祝福しているかのようだった。 新しい一歩を踏み出すために、私は再び歩き始めた。森の声と共に、この胸の光を抱きしめながら。