黒い薔薇の誘惑
赤い光が差し込む部屋の中、私は鏡越しに自分を見つめていた。艶やかな黒いコルセットがぴたりと身体に張り付き、レースの編み目から覗く白い肌が妙に挑発的に見える。鏡の中の私は誰よりも堂々としていて、危険なほど美しかった。でも、その美しさの背後に潜むものを知っているのは私だけ。 手首の白いカフスは見せかけの純潔を象徴しているのだろうか?それとも過去の清らかさを懐かしむ、皮肉めいた飾りなのだろうか?黒いジャケットの肩には、無数の小さな金の刺繍が施されている。それは戦いの記章のように私の意志を表しているかのようだった。 「また会えるなんて思わなかったわね」と、私の口元が少しだけ緩む。けれど、それは喜びではなく、挑発だった。目の前にいる彼――彼の名前を思い出すたびに胸の奥が痛むけれど、私にはそれすらも今はどうでもよかった。 彼の視線が私の姿に釘付けになっているのがわかる。赤い背景が私を舞台の主役に仕立て上げているからだろう。彼が私に見惚れている間に、私は胸元から小さな機械仕掛けの銃を取り出した。これが今夜の切り札になる。 「セレナ、やめてくれ。こんなことは本当の君じゃない。」彼の声は懇願するようだったが、私はその言葉にかすかに笑った。 「本当の私、ね。」その言葉を繰り返す。けれど、本当の私なんてもうとっくにいなくなっている。あの日、彼と共にこの歪んだ都市――機械仕掛けのバベルの塔に足を踏み入れたときから。 私たちが最初に出会ったのはこの都市の地下酒場だった。彼は私に、この世界の秘密を解き明かすための協力者として手を差し伸べた。その手を取ったことを後悔した日はない。けれど、それが私のすべてを変えたのだ。私の美しさも、知識も、全ては彼が用意した「役割」の一部だった。 照明が暗くなり、周囲の色彩が鮮やかさを増していく。赤の背景が私を包み込み、まるで燃えるような感覚を覚える。私の胸の奥で、小さな時計仕掛けの音が響き始める。身体に埋め込まれたこの装置が、私の命を数える最後の刻みだ。 「セレナ、これで全てを終わらせられるんだ。君は自由になれる。」彼の声は優しかったけれど、その優しさが私には鋭い刃物のように刺さる。 「自由?それを望むために、私はどれだけのものを失わなければいけなかったと思う?」私は彼に問いかける。私をここまで縛り付けたのは彼だ。それでも、彼だけがその鎖を断ち切る鍵を持っている。 私の手が震える。銃口が彼を捉え、引き金を引く寸前で止まる。彼の目が私を見つめている。その目の中には恐怖ではなく、希望があった。 その希望に抗うことはできなかった。私は銃を下ろし、代わりに彼の手を取った。冷たかったはずのその手は、私の心に奇妙な温かさを取り戻させた。 背景の赤が徐々に薄れ、現実が戻ってくる。私の中で何かが解放されたような感覚が広がる。もしかすると、本当の意味での自由を手に入れる日は、今日だったのかもしれない。 けれど、その自由が私に何をもたらすのか、まだわからない。ただ一つ確かなのは、私の旅はまだ終わっていないということ。そして、これからも私の美しさは危険な刃として、運命を切り拓いていくだろう。