ある日、インターフォンが鳴ったので出てみると、眼鏡のよく似合う知的美人といった女性が柔らかい微笑みを浮かべて立っていました。はて、どちら様だったか・・・会った事がある気はするのですが。 「おはようございます、早渚凪さん」 「え、あ、おはようございます」 とりあえず挨拶を返して、必死に名前を思い出そうとしていると彼女はそっと私に耳打ちしてきました。タバコの臭いが鼻をかすめます。 「オイオイ、私が分からないのかい？簡単な変装なんだがねェ」 「えっ！？そ、その声は江楠さん？」 彼女はそのまま私の横を抜けて玄関に入ると、バキバキと身体を鳴らしてストレッチを始めました。 「宿城の部下に尾行されていたからねェ。ちょっと町にある女性専用ジムの更衣室を借りて変装してきたのさ。奴め、金剛院サンとの婚約発表が近いからか私の動向が気になるらしい」 江楠さんは宿城の要注意リストに載っているはずなので、この大事なタイミングに邪魔されないように見張っていたのでしょう。しかし、江楠さん変装上手だな・・・元々の印象と全然違う。流行りのチェック柄シャツとゆったりめのパンツに着替えて髪をほどき、眼鏡をかけただけでこうも変わるとは、さすが本職の探偵です。 「髪をおろすのは嫌いなんだがねェ。まとまりが無くてうざったいんだ」 そう言いながら手早く髪をまとめています。それが終わると、ノートパソコンを取り出しました。 「さて、集めた証拠を整理しようか。その後で金剛院サンを交えてWEBミーティングといこう」 とりあえず、用意した捏造証拠は『ホテル街で宿城が高校生に声をかけるシーンの合成写真』『雅ちゃん主演・宿城の部下が竿役のAVに宿城の声を合成したもの』の二つです。晶さんのお父さんが宿城サイトという男に不信感を持つことがまず重要ですから、いかにもいかがわしいものを用意しましたが、言い逃れされる可能性もまだあります。 「とりあえず、その証拠を見せれば父も宿城を再調査しようとする可能性は高いでしょう。問題は、勢いで婚約を押し切られないかどうかですわね」 晶さんの話によると、パーティの段取りは主催者である宿城の挨拶に始まり、招待客である取引先社長たちやスポンサーに業務の成績を公開した後で、晶さんとの婚約を発表する手順だそうです。晶さんが、そのパーティに私を呼ぶように宿城に掛け合ったとの事でした。 「『腕の良いカメラマンで、わたくしの友人としても信頼のおける方なので、ぜひパーティの様子の記録と、友人代表スピーチをお願いしたい』と伝えておきましたので、今日にでも宿城から早渚さんにメールが来るのではないかしら」 「いい手だねェ。宿城としちゃあ断れない。ここで金剛院サンの心証を悪くするのは悪手だから、早渚君を呼ぶしかない訳だ」 「そうなると、私の出番は婚約が発表された直後くらいになるでしょうか。そこで宿城を陥れる証拠を出せばいいわけですね」 「わたくしの友人からビデオレターを預かっているとでも言って、あのいかがわしい映像を流してやれば大分ざわつきますわね」 そんな感じで当日の流れを決めていきました。 「さぁて、これだけ決まればもう私はお役御免だねェ。あんまり調査に協力できなくてすまなかった。お代は値引いておこう」 「それ嘘ですよね、江楠さん」 私は断言しました。江楠さんはきょとんとしてこちらを見ています。 「江楠さん、裏でいろいろ動いたでしょう。タイミング良過ぎるんですよね、瑞葵ちゃん達が噂を聞いた時とか、桃宮ちゃんが雅ちゃんを呼んでくれた時とか」 「オイオイそりゃあ偶然だろう。あんな若い子相手じゃ弱味を握って動かすのも難しいんだぞ」 「江楠さんの得意は何も脅迫だけじゃないでしょ。まず、宿城が婚約発表を控えているのに部下が女の子を食べてるなんておかしいんです。これは江楠さんがあえて派手に聞き込みして、宿城に警戒心を持たせたから、逆に宿城が部下に積極的に指示を出せなくなったんじゃないですか？動いたら探偵に感づかれるかも知れないから」 「な、成程・・・一理ありますわ」 画面の向こうで晶さんもうなずいています。私は話を続けました。 「そして部下には『宿城が身を固めたらこんな遊びも難しくなる』みたいな情報を流して、今のうちにやれるだけやっておこうという風潮にしたんでしょう。だから雅ちゃんにすぐに食いつく下地ができていた。後は瑞葵ちゃんや桃宮ちゃんの友達にタイミングを計って噂を流せば、勝手に私の所に情報や証拠が集まるって寸法です」 「・・・まったく、早渚君は食えない男だよ。気付いても黙っててくれればいいのにさ」 「まあ・・・本当なんですの？江楠さんはなんて謙虚な人なんでしょう、そんな活躍をされていたのにおくびにも出さないなんて」 晶さんが感心していますが、残念ながら違います。 「晶さん、江楠さんは謙虚だから黙ってたんじゃないですよ。晶さんと契約した時に、脅迫が得意とか言ってみせておいて、その実このくらいの仕事しかできない、みたいに見せたかったんです。そうすれば晶さんに名前を売りつつ警戒はされないから。そうしておいて金剛院の弱味を探るチャンスを狙ってたんですよ」 「ええ！？そうなんですの？」 「ハッハッハ、そこまでは邪推が過ぎるってものだねェ」 江楠さんは冗談めかして笑っていますが目が真剣です。・・・怒ってるな、内心。 「・・・すみません、言い過ぎました。でも、晶さんは私の友人なので心配になってしまって」 「ククッ、金剛院サンはいいお友達を持ったねェ」 その後、WEB会議は終了し、江楠さんは後片付けを始めました。 「早渚君、君今回の事は覚えておきたまえよ。せっかく色々手回ししたのにパアじゃないか」 「私は晶さんも江楠さんも友人だと思ってるので、そういう腹芸をしてほしくなかったんですよ。江楠さんならまっとうな方法で晶さんの信頼を得られるでしょう」 「まっとうな方法ねェ。こんなやり口で人を貶めようとしてる人間の言う事かい？・・・まあ、良いさ。当日は私も会場近くで待機しているよ。何か役に立てるかも知れないからねェ」 「お願いします」 スマホが鳴って、宿城サイトからの招待が届きました。さあ、後は本番を待つだけです。